2009年6月24日水曜日

「一億、総アホロートル社会が出現しつつある」(鹿島茂)

「アホロートル」と聞いててっきり「阿呆老人」のことだと思ったが、そういう生物がいるらしい(アホロートル)。鹿島茂による3回連続日経「プロムナード」(初回2回目はこのリンク)での若者論の完結編。例によってメモしておく:

抜き書き:
  1. 1975年頃からの若者が知的な家庭に入ることを拒否し、遠方指向性を失うようになったが、それは同時に成熟することの拒否でもあった。オカク化とはそういう過程。しかしバブル崩壊前まではオタクはまだ少数派であった。
  2. 社会に子供を一気に大人社会に組み入れる通過儀礼(イニシエーション)が存在していたからだ。入社試験と新人研究制度である。それは戦前の兵役制度に等しかった。
  3. ところがバブル崩壊とそれに続く不況によって、会社のこの機能が徐々に失われていった。会社は「成人教育機関」としての役割を放棄する以外に生き延びる道はなかったのである。
  4. 一概に企業を責めることは出来ない。責められるべきは、戦後、通過儀礼の役割を会社に押しつけてきた歴代の政府だ。
  5. バブル崩壊後、会社が通過儀礼の役割を放棄したことで、この大切な役割を演じるものがだれもいなくなってしまった。
  6. いまの日本人は、幼形成熟する両生類アホロートルに似ている。「一億、総アホロートル」の社会が出現しつつあるのだ。

オタクたちにはもちろん、いわゆるニッポンイストにもこういう話は耳障りなようだ。でも、問題の原因を正しく認識することが、その解決策を検討する作業に起点となる。その問題の中にどっぷり使っている人より、傍目八目の視点をもてる人の方が本質を適確に見えることが多い。フランス文学者なればこそ見えてきた構図である。石原慎太郎は嫌いな仏文学者を軒並み焚書坑儒して以来、とんちんかんが増えた。

4 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

この記事は現在の若者の30パーセントぐらいが働く気もない人間であるというのならば説得力がありますが、この記事にあるような本当の意味での引きこもりは日本全体でどれほどいるものなのでしょうか?正直、偏見に満ちた記事であると感じます。

Unknown さんのコメント...

まだ続きがでていた。これも必読:

Letter from Yochomachi: 「日本はすでにアホロートルが多数派となる悪夢のSF社会に足を突っ込んでいる」(鹿島茂)

匿名 さんのコメント...

面白そうなので書き込んでいきます
例えが極端で アホロートルには
脅威の言葉で 理解するために
数値を要求する・・・ありがちです。
個人(社会)の幼稚化(経済動物化) 世界中に蔓延していますよね
お金儲けするには この方が
都合が良いのですよね 
団塊が作り上げた 豊かな個人主義の
反面の部分と思います。
数値ではなく「感じること」が大事で 
感じて考えることが
人間らしいのでは?

現状の社会の問題点、事件など
客観的に見るなら 「頭の良い幼稚」
でしょう?
長所をのばす 褒める教育の産物
短所が大事なのですがね~
大卒のうぱーるぱーが巨大化し
自由に暴れている様は SFです

Unknown さんのコメント...

内田樹は、「(この幼稚性は)最近始まったもんじゃない、昔からのものだ」と言ってますね:

Letter from Yochomachi: 「司馬遼太郎と村上春樹の共通点は、ニッポン人の集団的邪悪性についての認識である」(内田樹)